盗まれた100ドル、盗まれなかった100ドル
私はお財布をよくなくす。どこに落としたのかの検討もつかないときもあれば、この場所しかない!と確信を持って確認しに行った時には、その場所に置いていなかった時もある。
ただ幸いにも、私のなくした財布は大抵の場合警察に届けられて返ってきており、私の財布は何度となく発生する紛失劇を乗り越えて5年プレイヤーとして今も使われている。
「お財布を警察に届けてくれた人に、お礼したいのですが・・」
発見の連絡があった時警察の方に言うのがこれだ。
実際にそのまま戻ってくることなければ失っていたであろう数万円とカード等の停止・再発行にかかる手間を考えると、お礼をしてでも感謝を伝えたいところだが、お礼の申し出をするのだが、殆どの場合「お届けいただいた人はお礼はいりません。気にしないでください。と言っていましたので」と警察の方からメッセージをいただく。つくづく治安が良く・親切心に溢れた街に住んでいるなと実感する日々である。
海外でも何回か財布をなくしているが、ほとんど返ってきたことはない。そんな中で記憶に残る紛失経験があった。アメリカ、ポートランドでの財布紛失事件である。
10年ぐらい前、私はアメリカのポートランドという場所で学生をしていた。その晩に街にくりだそうとしていたこともあり、その日の朝にATMから200ドル引き落としていた。親からの仕送りのみで生活していた学生の私にとって、200ドルという大きなお金は大変な大金だった。
その日、授業に遅刻しそうだった私は、トイレの個室にお財布を忘れてしまった。忘れたと気がついた瞬間「終わった」と思った。日本でさえ面倒なカード停止を英語でこれからチクチクやるのである。絶望と焦りが入り混じった感情で自分が入っていた個室に戻ってみると、なんと私の財布がまだそこにあるのである。そして、財布をあけると・・100ドルだけ残っている
明らかに100ドルだけ盗まれている。逆に100ドル残っているのだ。
95%は戻ってくる可能性をなくしていたので、個室に残されたお財布の中身を見た時、ショックよりも実際に残っている安堵感と同時に、控えめにお金を盗んだ財布発見者の僅かな優しさに思わず苦笑い。おそらく犯人は財布を見つけて、しめしめと一瞬盛り上がったが、どこかに盗みを働く罪悪感があったのだろう。
目の前には200ドルという学生にしては少なくないお金がある。普通の人なら金欲が勝って盗んでしまってもおかしくない。しかし心優しい彼の中には罪悪感が高まってきて、金欲と罪悪感の間で100ドルだけ盗み取ったのだ。
「100ドルだけなら、盗んだことを気が付かないかもしれない・・」そんな気持ちもあったのかもしれない。必要な分までの食料はいただくが、それ以上の不要な殺生はしない。アイヌの生き方みたいだ(しらんけど。
度胸のない盗人とも取れるし、悪人になりきれない優しい人とも取れる不思議である。
1.お財布をなくす(ガン萎え)
2.お財布を見つける(ガン上がり)
3.お金がない(プチ萎え)
4.お金が残って入る(プチ上がり)
と、非常に気持ちのアップダウンが激しいお財布紛失劇だった。
そんな私は、今日もクレジットカードを紛失する。